京極高延(高広)と高吉の家督相続争いは大永三(1523)年三月九日の大吉寺の梅本坊公事から起こったという。(『江北記』) この公事についての詳細は不明だが、京極氏の家督について何かしらの動きがあったと推測される。しかし昨日述べたように高吉はすで…
室町時代、幕府の四識と呼ばれる役職に付けたのは赤松・山名・一色・そして京極氏である。しかし度重なる内乱で幕府の権威が弱まると、各地で有力な大名に取って代わられ、次第に没落していくこととなる。その中で唯一大名として近世まで命脈を保てたのは京…
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